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京都地方裁判所 昭和45年(ワ)517号 判決

原告

吉田博

みぎ訴訟代理人

稲村五男

被告

第一工業株式会社

みぎ代表者

長谷川祀

みぎ訴訟代理人

高橋禎一

滝谷滉

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一、原告主張の本件請求の原因事実中(一)(二)の各事実は、笹原清治が原告であることをのぞき、当事者間に争いがない。

そうして〈証拠〉によると、笹原清治と原告とは同一人物であることが認められ、この認定に反する証拠はない。

二、原告の不法行為にもとづく請求について、

(一)  原告が本件事故にあつたのは、昭和四一年一月六日である。そうして、本件訴が提起されたのは、昭和四五年四月一六日であることは本件記録によつて明らかである。

そうすると、原告主張の不法行為にもとづく損害賠償請求権は、民法七二四条により時効によつて消滅したわけで、本件訴は請求権消滅後の提訴である。

(二)  原告は、被告会社は債務の承認をしたと抗弁しているので判断する。

(1)  被告会社が、昭和四一年一月六日から、昭和四四年三月三一日まで労災休業補償金を毎月原告に立替えて支払つたことは当事者間に争いがない。

労働者災害補償保険法により、各種の保険給付が行なわれるための要件は、保険事故が、業務上の事由による労働者の傷病死ないし病疾であることである。そうして、同法は、この業務上の事由による労働者の傷病死ないし廃疾が、保険加入者(使用者)の不法行為にもとづくことを要件としていない。従つて、労働者に労災給付があつたことから、直ちに、給付の原因が使用者の不法行為上の災害であるとするわけにはいかない。

被告会社が、労災休業補償金を立てかえて原告に支払つたことからも、休業補償のみぎ性質に徴し、直ちに、被告会社は、本件不法行為責任を承認したことにはならない。

そうして、被告会社が、原告にそのような立替をしたとき、特に本件不法行為にもとづく損害賠償義務を承認したことが認定できる証拠は見当らない。

(2)  原告は、被告会社の労務担当者訴外長尾薫が、昭和四四年五月、原告に対し債務を承認したと主張しているが、そのような事実を認めることのできる的確な証拠はない。

〈証拠〉によつても、原告の慰藉料支払いの申入れに対し、長尾薫が、上司と相談して返答すると答えたことが認められるだけである。

(3)  原告は、後遺症の認定の日から、後遺症に関する損害が発生したと主張しているが、原告の主張する後遺症が、当初の傷害時には予想できないものであるのならば格別、通常予想できる範囲の後遺症である限り、その時効の起算点は、当初の傷害の時と解するのが相当である。

本件に顕われた証拠を仔細に検討しても、原告の後遺症が通常予想できる範囲外のものであることが認められる証拠はない。

(三)  そうすると、原告に、本件事故による不法行為上の損害賠償請求権があるとしても、三年の消滅時効にかかり、すでにその権利は消滅したとしなければならない。

三、原告の債務不履行にもとづく請求について

(一)  〈証拠〉を総合すると次のことが認められ、この認定に反する〈証拠〉は採用しないし、ほかに、この認定に反する証拠はない。

(1)  原告は、以前にも、被告会社の荷役の仕事をしたことがあり、港湾荷役の経験者である。

(2)  原告は、昭和四一年一月六日、西成の手配師に被告会社の荷役の仕事の斡旋を受け、同日午前七時三〇分ごろ被告会社に着いた。

(3)  被告会社の同日の仕事は、外国貨物船アネット・マースク号(九〇〇〇トン・以下本船という)の錆落しに使用した砂を叺にいれて機帆船におろし、これを岸壁に運搬することであつた。

(4)  原告は、作業内容の指示を受け、同日午前八時から午後五時まで、本船で、砂を叺にいれる作業をした。

そうして、原告は、午後五時からは約五名位のものと夜間作業につき、機帆船金精丸(四〇トン)上で、本船からおろされてくる砂入り叺を、金精丸に積みかえる仕事をした。

(5)  夜間作業に入つて、本船の外舷灯は五灯つけられた。一灯五〇〇ワットの明るさである。このうち二灯は、金精丸上に焦点を合わせて照射された。

金精丸は、同日午後三時ごろから、本船にロープでしばられて固定され、本船から、一回五、六俵の叺入りの砂(一俵四〇ないし五〇キログラム)が、ワイヤーで編まれたモッコにのせられ、金精丸船艙にウインチでおろされた。

(6)  この作業の指揮者であるデッキマンには、被告会社の社員である訴外青木孝一が当つた。

(7)  同日は、午前中から午後八時ごろまでなんらの事故もなく作業は進められた。なお、同日は、夜遅くまでこの作業がなされた。

(8)  原告は、同日午後八時ごろ、金精丸の船ばたの中央辺で、叺の整理をしていたところ、本船から叺を載せて金精丸上におりていたモッコが急に横にゆれ、原告の身体が本船とモッコの間にはさまれる恰好になつた。

このようにモッコが急に横にゆれた原因は、デッキマンが、金精丸上の作業状況を確認しないでウインチマンにモッコをおろすよう指示したか、ウインチマンがデッキマンの指示がないのに、ウインチを操作したことにある。

(二)  以上認定の事実から次のことが結論づけられる。

(1)  原告が同夜従事していた作業は、金精丸上で、本船からおりて来たモッコから砂入りの叺を取り出して積みかえるという単純な作業である。

(2)  被告会社では、同日作業にかかるとき、仕事の内容を説明して作業をはじめ、夜間には、本船の外舷灯に点灯して作業をしており、同日午後八時ごろまでは、順調に作業を進め、仕事は捗つていた。

(3)  原告は、港湾作業の経験者である。

(4)  以上のことから、原告の同夜従事していた作業場、作業設備および作業内容は特別危険の伴なうものではないといえる。

(三)  原告と被告会社間の雇傭契約で、原告を特に安全に作業させることを契約内容としたことが認められる証拠はない。

原告は、労働基準法上被告会社は、原告に対し安全に個業させる債務があると主張しているが、しかし、同法には本件のような作業について、安全義務を使用者に具体的に課した規定はない。

要するに、被告会社は、原告に対し、本件作業について、安全上どのような債務(給付)を具体的に負つたのかが判らないわけである。

原告の作業場、作業設備および作業内容が特別危険であつたわけでないことに留意したとき、原告の指摘するデッキマン、ウインチマンの単なる仕事上のミスは、本来不法行為として構成してその責任を追及すべき性質のものであり、その債務(給付)の内容が確定し得ないのに、ただ抽象的に原告を安全に作業させる債務があり、その債務に不履行があつたとするわけにはいかない。

近時、医療過誤について、医師の患者に対する債務の内容が不明確であることを理由に、債務不履行責任を否定する学説がある。当裁判所は、この考え方に賛成する。そうかといつて、このことは、請求権競合説を否定するものではない。

四、むすび

原告の本件請求は失当であるから、民訴法八九条に従い主文のとおり判決する。 (古崎慶長)

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